みなさん、どうもこんにちは
引っ越しや移転を繰り返し、地元という地元が存在しない男、ツリーです。
みなさんは『幼馴染み』と呼べる存在がいるでしょうか。
私の周りでもほとんどの人が持っているものですが
しかしその存在のことについて尋ねると
大抵、こういった言葉が返ってきます。
「幼馴染? そんな良いもんじゃないよ」
……本当に、そうでしょうか?
いやもうホントね、そんな彼らの言葉を聞く度にいつも思うわけですよ。
「幼馴染 爆発しろ」
――彼女よりも幼馴染が欲しい男
ツリー(彼女いない歴=年齢)
冒頭でも言った通り、私には地元と呼べる地元はありません。
なので、幼馴染と呼べるような存在もいません。
しかしだからこそ、その大切さが分かるのです。
持たざる者は、持つ者よりもその価値を見出すことができるのです。
幼馴染がいるにも関わらず
疎遠になっていたり喧嘩をしていたり、どうでもいいやと思ってしまっている方は
この記事を読んで、その存在の「大切」さを感じてください。
“持たざる者が語る、「幼馴染」の魅力”
「そもそもお前は幼馴染になぜそこまで憧れんだ」と思っていることでしょう。
ですからここで、その存在の羨ましさ・憧れる理由を語っていきたいと思います。
まずここで誤解のないように言っておきますが
私は別に漫画やドラマでよく見る
「朝起こしに来てくれる可愛い女の子」
が欲しいというわけではありません
(欲しくないとは言ってません)
男だろうが女だろうが
性格が良かろうが悪かろうが、どうでもいいんです。
とにかく、
「過去の思い出を共有できる存在」
がたまらなく羨ましいのです。
例えば、
高校時代
「数人の女子にストーカー行為を行い泣かせたN君の話」や
中学時代
「頭に出来た大きなイボをいじられて学校を辞めてやると叫んだM君の話」など
今までに経験したエピソードを語ることはできますが、
全ての思い出を共有することはできません。
なかには
「俺に俺が知らない話をされても困るんだよね」と
お話し自体させてもらえない相手もいます。
それは、想像するよりもとても悲しいことなのです……。
さらには、これはもう鉄板のあるあるネタだと思ってぶっ込んだ渾身の話題が、
「え?何それ。初めて聞いた」
の一言で済まされる屈辱!
懐かしい遊びや当時流行した言葉が全然ピンときてもらえないこともしばしばです。
しかし『幼馴染』がいれば、昔のことで盛り上がることもできます
過去関連でトラブルが起こった場合、何かしら解決に協力してもらえることでしょう。
家族や近所の人とも面識があるわけですから、何かあったとき、頼ることだってできます。
“地元”に帰った時、小、中、高……と、思い出の中の青春を再び駆け抜けることだってできます。
『実はお互い幼稚園の頃から両想いだった』
なんて言って、ドラマのような燃え上がる恋愛にだって発展するかもしれません
(結局それめっちゃ欲してんじゃねえか)
ここまで言っても特に何も感じない超幸運野郎さん幸運な方々は、ほんの少しだけでも想像してみてください
あなたの大切な幼馴染がある日突然消え失せた、悲しい世界を。
“どうでもいい『縁』や『絆』なんてものは、この世界には一つだってない。
今ある奇跡のような幸運に気付け、そして噛みしめろ”
なんだか愚痴のような、嫉妬のようなものを散々書き連ねてきましたが、
別に私は幼馴染を持っている方々が憎いわけでも、今の自分の現状を悲観しているわけでもありません。
幼馴染ではなくとも大切な仲間や友達はたくさんできますし、それは私自身も身を以て感じています。
しかし幼馴染を持つ人は、
それがあまりにも近しい存在であるがために、逆にないがしろにしてしまっているのではないかと思うのです。
この誰とでも繋がることのできる現代社会であってもーーであるからこそ、
一度繋がった“縁”や“絆”を大切にして、自分の『奇跡のような幸運』を噛みしめて、日々を生きて欲しいのです。
幼馴染を持つ人も持たない人も、『大切な誰か』と、
もし喧嘩をしているならば勇気を出して謝って、仲直りしてください。
もし疎遠になっているのなら、連絡を取って会いに行ってください。
あなたにとってその人がどういう存在かを考え、大切にしてあげてください。
人の縁や絆なんてものは、些細なことで切れてしまいます。
そうなってしまってから後悔しないよう、
この記事を読んで下さったあなたは
かけがえのない“繋がり”を、大事にするような行動を起こしてください。
では、また次の記事でお会いしましょうね!
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