福岡ソフトバンクホークス日本一の立役者から学ぶ目標実現への考え方!


福岡ソフトバンクホークスは今年2年ぶりの日本一となりました!福岡は大盛り上がりでローカルニュースは一週間ほどずっとホークス特集なくらいです!!


さて、そんなホークス日本一の立役者とも言えるこの選手をご存知でしょうか?


150キロを超える速球から鋭く変化するお化けフォークでおなじみの千賀滉大選手


今年はWBCにて日本代表にも選出され、さらにシーズン中は先発投手として大活躍。

いまではホークスを代表する投手でもありWBCからもはや日本球界を代表するスター選手になりました!


さて、そんな千賀選手がどうやってここまでの選手になったのか、皆さんはご存知でしょうか?


何人かの人はもともとすごい選手で、ドラフト会議ではドラフト一位なんかで指名された、そんな投手なのだろうと思っているかもしれません


しかし彼は、最初に入ったときには育成選手として、しかも育成ドラフト4位つまりもともとあまり評価の高くない育成選手の中でも、かなり低い評価だったのです!

ではどうして彼はここまでの投手へと這い上がったのか。


そこにはとんでもない努力と、ここに至るまでの不思議な経緯があるのです!


というわけで今回は球界のエース候補千賀滉大選手の実は知らないブレークまでをご紹介していきたいと思います!




・千賀投手の経歴と異質な入団経緯


(写真:高校時代の千賀投手)


千賀滉大選手は2010年にソフトバンクホークスにドラフト会議で選ばれ、育成ドラフト4位という順位でホークスに入団しました。育成選手というのはいえば1軍には出られない選手ということになります。


さて


ではそもそもなぜそんな低い順位で彼が指名されることができたのか?

その理由が本当にとんでもない理由でした!


そしてなんとこの千賀投手、高校時代はあまりスカウトからも目に留まっていなかったそうなのです!


当時のスカウトの小川一夫さんが無名の高校生だったこの選手を見に行った理由がなんと


「アマ球界に詳しい」という愛知県名古屋市のスポーツショップ「西正ベースボールショップ」の経営者・西川正二からの薦めで視察し、なんと獲得もそのときに決めたということでした。


もう正直言ってこんなのは前代未聞どころじゃありません。普通は絶対考えられないことです。


だいたいそもそも、プロのスカウトが地元のスポーツショップの経営者の話をきいて選手を見に行くなんて聞いたことすらないくらいです。


ちなみに千賀選手はじっさいにこの小川一夫さんとの面識はなく、あったことすらなかったそうです。



そんなとんでもない理由で指名され、全く無名であった千賀滉大選手。

さて、ここからは簡単に成績などを書いていきたいと思います

(写真:初の支配下登録をした千賀投手。支配下当時の背番号は21!)



指名された2年後の2012年育成から支配下登録。


一軍での試合に出場も果たすと、翌2013年には中継ぎ投手として1軍に定着し公式戦連続無失点イニング記録を樹立し、ちゃくちゃくと実力を積みました


しかし、右肩の違和感により2014年後半から2015年前半にかけて一軍での登板を回避することになってしまいます


それでも怪我に苦しみながら、リハビリや二軍での調整を経て、2015後半には現在の先発投手に転向を果たしました


そしてついに2016年に先発として定着。


前年けがに苦しめられていたとは思えないほどの、大活躍投手としての栄冠でもあるシーズン二桁勝利

さらに先発投手として登板した試合で八連勝という大活躍。


育成選手としてのシーズン最多勝記録も作り、まさに育成の星として名をあげました!


そしてついに今年2017年はWBCの先発投手に大抜擢されWBCでは四試合に先発、大会最優秀投手にも選ばれる快挙!


シーズン中は途中怪我に苦しみながらも13勝をマークしホークスのリーグ優勝、そして先日の日本シリーズでも登板し勝利をあげホークス日本一の立役者の一人となりました!

(写真:2017年WBC時代の千賀投手)



・WBC代表まで上り詰めた千賀投手の努力



正直、育成選手というのは決して甘いものではありません。最初の評価としてはほぼ二軍以下という評価。さらに一軍に出るには二軍戦で結果を残しその能力を認められ初めて一軍に出場することのできる支配下登録選手になります。


そんな難しいことを入団からたった6年で成し遂げた千賀選手


しかし当然ながら入った当初から相当な努力を積み上げていました。


まず2011年入った最初の年のこと。

今ではスピードボールで有名な千賀投手も当時は150キロも出ないどころか、最速でも144キロでした。


正直これでも十分速いのですが、プロとしては厳しいと感じた彼は


まず球速アップのため徹底したウエイトトレーニングをやり続けました


さらに食事の量も増やして体重を76キロから80キロまで増加させ、体幹トレーニングも徹底して行うことで球速は最速152キロにまで大幅に成長させました。


その後の2012年で努力が認められ支配下登録されてからも彼は努力をし続けました。変化球が少ないと感じてフォークボールを練習し続けたのです。


そうです、フォークボールといえば彼の大名手の変化球!

鋭く落ちることで打者からは消えたようにすらみえることから『お化けフォーク』ともいわれるこの変化球はなんと、プロ入りしてから二年目で練習したことで身に着けたものだったのです!



・千賀投手から学ぶ目標達成への二つの考え方



こうした努力から6年で日本を代表する投手へと成長した千賀滉大選手。そんな彼はこの努力についてあるインタビュー記事にて、

私たちの日常生活にも役に立つ、二つ大切なことを言っていました。



一つは目標を立てそれを実行するということ。



目標を立ててそれを実行するのは決して簡単じゃないが、常に上を見ていけば行動も変わるとそういう考え方でした。


これは日常生活でも、大学生活でも、一つ目標をたてて行動を実行していくことで、そして同じように常に目標を見ながら行動していけば千賀選手のようにいずれは大きな目標も達成できるのではないかなと思います。



もう一つは常に自分を第三者の目で見ていくこと。



彼はプロに入ってからいつも自分に今これが足りないだろうから、これをやる。ということを意識してきたそうです。


わたしたちもそういう考えを持てば、いろいろなことが変わっていくのではないかと思います。日常的に自分の足りないことを意識することで、足りないところがなくなっていけば、いつかは自分が思うすばらしい人になれるのではないかと、わたしは千賀選手から学ぶことができると思います。



育成の星でもあり、日本を代表する努力の星でもある千賀選手。


たしかに彼自身もともと才能があるということはあるのかもしれません。

ですが努力の方法や、彼の考え方、そしてなによりそれを継続する力。


いま頑張っているあなたや、そしてこれから頑張ろうと思っているあなたも、彼の考え方から学んで、そして彼のように夢をつかめるように努力は裏切らないことを彼を見て感じ、辛くても継続していくことを忘れないでほしいと思います!



インタビュー記事引用

https://timely-web.jp/article/1630/

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